原子力の新地平線を切り開く ~安全目標・性能目標~

2017年3月8日(水)

miya宮 健三
原子力国民会議代表理事 日本保全学会理事長
東京大学名誉教授 工学博士

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1.はじめに

規制委員会の評価:

 福島原発事故後、我が国の原子力がここまで疲弊するとは想像もしなかった。端的に言って、その責任は大きな権限を持つ田中規制委員会の経営の未熟さにある。稼働中の原子炉はわずか3基だけという実態に照らせば弁解の余地はあるまい。また、田中規制委員長の策略と言われる“もんじゅ”殺し。同様の手口が六ケ所の“核燃料サイクル”に適用され始めているとの懸念。思うに、本来明るいはずの規制委員会が発足以来どうしてこのように暗いのであろうか。このように原子力活用の足を引っ張る規制当局は世界のどこかにあるのだろうか。

 原子力規制委員会の主たる使命は安全を十分に確保しながら原子力利用を推進することにあるはず。この4年半の田中規制委員長のパフォーマンスを見るに、マスコミと政治家に対する政治的パフォーマンスのみ注力し、本業であるはずの規制規則・業務の改善に創意工夫を凝らした形跡はほとんど見られない。これが規制の本来の姿だと誤解している一部国会議員やメディア。

規制行政の一大進歩: 

 それ故、原子力の現在の閉そく状況を打破するものは何か、と悩む。それは、“安全目標・性能目標”を突破口にして、抜本的な規制改革を手掛けることだと思うがどうだろうか。

 これまで定性的で曖昧模糊としていた“原子力安全”を定量的で簡潔なものにしていく。そうすることで、イ)規制全般を合理的にし、ロ)規制に精通していない規制委員にわかり易い指針を与え、ハ)規制担当官の恣意性を排除し、ニ)無駄な審査業務を効率化する、など規制業務の改善を図っていく。

 何よりも、安全を抽象的に理解しそれを政治的にとらえ、事故の恐怖を過剰に煽り、国民の正常な判断をさえぎり、国民の大半は運転再開に反対だと騒ぐメディア、に対して、プラントの安全性に関し明確な答えが与えられることは喜ばしいことではないだろうか。少なくとも情緒的主張は退けられる。ここに原発安全性の理解に一大進展が期待できる素地ができた。

安全目標を活用しよう:

 安全目標・性能目標の有効性は米国における原子力規制行政の成功例と95%という高稼働率を見れば明らかである。現状に責任を有するはずの田中委員会は一方的に事業者(電力会社)の対応の悪さに責任転嫁しているが、それが自己弁護であることは知る人ぞ知る。

 それ故、“安全目標・性能目標”に関して全般的な理解を深め、重要な規制案件に対し、その積極的な適用は規制の新しい地平線を切り開くことにつながるであろう。

2.安全目標と性能目標をどう理解する

 安全目標・性能目標は原子力発電設備の安全性の目安を与える。実機がこの目標値を満たせば、原発は安全だといってよい。ここで混乱が生じやすい。それは、性能目標と個別プラントの持つ性能値(属性値と呼ぶ)の区別である。属性値は性能目標を上回ることが望まれる。

安全目標の意味と有用性:

 旧原子力安全委員会に設置された「安全目標専門部会」によれば、安全目標の位置づけは、「事業者に対してどの程度まで安全確保を達成したらよいかを定量的に示すこと」にある。
その利点を要約すると、
(1)「安全目標」は規制活動に透明性、予見性を与え、事業者の創意工夫を生み出す。その結果、現在の規制がより効率的なものに生まれ変わる。
(2)「安全目標」は事故時の公衆の死亡率を尺度とする。これは、国の原子力規制活動に関する国民と司法の理解を高める。
(3)規制当局は「安全目標・性能目標」の達成度を中心に事業者の活動を評価する。瑣末なことは事業者の自主性にゆだねる。

 定性的目標と定量的目標:

 安全目標には定性的な目標と定量的目標がある。前者は、原子力発電は公衆の健康リスクを増加させてはならない、という定性的表現である。定量的目標は、原子力施設の事故による公衆の平均死亡リスクを年当たり百万分の一以下にする、というものである。

 性能目標とは:

 以上は安全目標の定義で設備の安全性には言及しない。性能目標はそれを果たす。あるプラントが、今定義した安全目標を満足するかどうかは施設の設計や安全対策などに依存する。これは原子力発電設備の属性である。属性の代表的な指標は“炉心損傷頻度(CDF)”と“格納容器機能喪失頻度(CFF)”である。ここで、CDFはCore Damage Frequency, CFFはContainment Failure Frequencyである。

 属性値はプラントを構成する機器やシステムの故障率などによって決まる。この値が安全目標を満足しなければ、更なる安全対策の実施が期待される。ただし、安全目標値を満足していないから運転できないことにはならない。理由は、
1)設備の安全性は、設置許可申請や工事認可申請の審査で確認されていること、日々の丁寧な点検活動をしっかり実施していること、
2)性能目標値は長期運転を想定したときの平均的な安全レベルを表和す指標

であること、から明白である。

 性能目標は機器などの故障率(例えば、10年に一度故障するとかいった値)から求められる。事故発生時の死亡率を許容値以下にするため、プラントに要求される安全性のレベルである。

 具体的数値:

 それでは世界各国の炉心損傷頻度はどんな値になっているのだろうか。およそ、1基当たり、CDF = 10-4 / 年 ~10-5 / 年、となっている。1~10万年に一回の事故頻度である。

 自動車には安全目標値はないが、あったとして評価するとどうなるか。

 我が国の自動車事故による死者は年に5000人弱。それを人口(1.2億人)で割ると、死亡率は、4x10-5/ 年となる。原発事故による死亡率は一般産業の千分の一として容認されているので、この値の千分一の死亡率は、ざっと10-8/ 年になる。この事故の頻度と死亡率が達成されるように、炉心溶融頻度と格納容器破損頻度を決める。原子力規制委員会は、それらの値をそれぞれ、CDF = 10-4/ 年、CFF = 10-5/ 年、として推奨した。これらの値は個々のプラントに依存しない目標値である。

 放射能放出量:

 CDF = 10-4/ 年 が達成されればその原発は死亡率で一般産業の千分一の安全性が達成されると解釈できる。ここでは、千分の一の死亡率に対応する事故頻度を求めているが、災害の規模(放射能放出量)には言及していない。大量の放出があれば、千分の一は守れないから、当然放出量に制限がかかる。これを Cs(セシーム)放出量で100テラBq(ベクレル)以下に留めるべし、となっている。

 100テラBqは、福島事故時の放出量の百分一なので、事故が起きても避難しなくて良いレベルである。これは見違えるほどの安全性の向上である。

 明日の事故の防止:

 今までの評価は、明日私が事故で死ぬか死なないか、については何も語っていない。明日事故が起き、残りの40年間は起きないかもしれない。明日の事故を防止する方策は何だろうか。それは、「念には念を入れた日常のメンテナンス」である。この日常のメンテナンスが原子力発電設備の安全性を確保する最も重要な行為である。規制当局や事業者はこの安全確保活動を国民に広く周知したほうがよいのに、されていない。残念である。

 性能目標の算出根拠となっている機器の故障率が寿命中に変わらなければ、メンテナンスを実施する必要はない。現実には機器は使用時間と共に劣化する。だから、点検してできるだけ新品状態を維持する。それ故、毎日、毎週、三ヶ月に1回、の点検が施される。保安検査で安全対策に抜かりがないように管理する。

 言い換えれば、機器類の平均的故障率に基づいて評価すれば、1万年に1度の頻度で事故を起こすかもしれないが、明日事故が起きないようにするため、日常手厚く機器類の類を検査していることを強調しておきたい。

 何故福島原発事故は起きたか:

 では、このシナリオが破れる事態はないのか、となる。それは性能目標を評価するとき、評価対象に含まれなかった事故事象があったかどうかに依存する。福島事故の場合、大津波が来ることを評価対象にした結果が実行に移されていなかった。津波対策が打たれなかった理由として、安全文化の欠如を指摘した報告書もある。交通量の激しい交差点に信号機を取り付けてほしいという要望は死者が出るまで実行されなという話を思い出す。

 福島事故後、事故原因は十分に調査・検討された。この事故から多くの教訓を学び、大抵の自然災害事象(津波、地震、竜巻、ミサイル、など)は現在考慮されている。福島事故を境に原発の安全性は格段に高まったといえる。どれだけ高まったかを言う物差しが“性能目標”である。規制当局は国民や司法(例えば、大津地裁)にそのことを明確に伝えるべきである。特に司法の性能目標に関する誤解はあってはならない。

 原子力発電設備に安全目標が必要な理由:

 ここで指摘したいことは、自動車や航空機の場合と違って、原子力安全目標は世界的に統一された形で議論されてきた。航空機の場合、事故は可能な限り少なくしようとするので、共通目標を設定する必然性はない。安全目標は無事故にあるとする。事故を起こしても原因究明と対策は打たれるが、航空機の存在まで否定されない。

 ところが、原子力事故は航空機事故とは社会的取り扱いがまるで異なり、事故の深刻さは極大化される。そのため、どこまで安全性を高めたらよいのか、きりがなくなる。それでは原子力産業は成立しないので、安全目標値を決めざるを得なくなる。また、原発と航空機とではシステムの規模がまるで異なり、事故ゼロの具体的イメージは明確にしにくい。

 外国では、安全目標が正しく理解されており、その結果、原発が容認され増設が容認される事実につながっていくのではないだろうか。

3.安全目標・性能目標はどのように役に立つか

リスク情報を活用すれば安全性は高まり稼働率は上がる:

 リスク情報とは、確率論的安全解析から求められる事故の起こる頻度をいう。

 このとき、リスク情報は機器の故障率に依存するので、古い機器を新しい機器に交換すると故障率が小さくなるので、事故の頻度は低下する。どの程度低下するかは、新しいCDFと古いCDFを比較すれば一目瞭然である。この評価手法(Value Impact Analysis)は、大規模のバックフィット工事を行うとき実施すべきで、米国では原則実施されているが、残念ながら我が国では実施されていない。

 米国では規制機関であるNRC(Nuclear Regulatory Commission)が科学的・合理的な規制体系を確立し、安全目標に関連するリスク情報を上手に活用・運用している。その結果、稼働率は95%以上である。福島事故前は、日本の原発の稼働率は65%程度だったから、その差を米国原発に適用すれば、30基分の原発を増設したことに相当する。リスク情報の活用で安全性をしっかり確保しながら莫大な経済効果を上げているのは注目に値する。

 それに引き換え、我が国の田中安全規制は前近代的要素を多く抱え、審査速度は遅く、もんじゅ潰しなどに勢力を注ぎ原子力潰しには成果を挙げているが、建設的な成果は見るものがない。

4.“安全目標”はどのように役に立つか

裁判官へのメッセージ(運転差し止め裁判):

 高浜3.4号機や川内1,2号機の運転指し止め訴訟において、規制委員会による適合性審査に関し、安全性への言及が見られる。そこでは、田中規制委員長の「適合性審査に合格しても私は安全だといわない」という軽率な公式発言が暗い影を落としている。そのため、訴訟で敗訴した事業者はたまったものではあるまい。

 例えば、川内原発の判決文から引用すれば、以下のとおりである。

 『裁判所の審理判断は、福島第一原発における事故の経験をも踏まえた最新の科学的知見及び原子力規制委員会が作成した安全目標に照らし、同委員会が策定した新規制基準の内容及び同委員会が示した当該原子炉施設に係る新規制基準への適合性判断に不合理な点があるか否かという観点から行わるべきである。

 本件原子炉施設について、確率論的安全評価によって算定された基準地震動の年超過確率が10-4 / 年~10-5 / 年 程度とされている。また、厳しい重大事故を選定して環境に放出されるセシウム137の放出量を解析したところ、7日間に約5.6 T Bq (事故発生後100日間では約6.3 T Bq)との結果が得られている。加えて、先の耐震安全上の余裕が確保され、前述した安全確保対策が施されていることを考慮すれば、安全目標が求める安全性の値を考慮しても、本件原子炉施設に係る基準地震動の策定及び耐震安全性の評価に不合理な点があるとはいえない。』

 ここでは、性能目標が明確な判断基準として扱われていることに注目したい。

原発の必要性:

 自動車は年間5000人弱の死者を出しながら、誰も自動車をなくそうと言わない。航空機も同様である。ここには損害よりも便益が大きいことを誰もが知っているからである。原子力発電設備は福島事故の物理的悲惨さだけを見てその受容性を否定しようとしている。民進党はゼロ原発を公約にしようと検討している。脱原発を宣言し自然エネルギーに依存しようとする台湾はエネルギー安全保障に懸念が持たれ始めている。この程度の悲惨さだけで国の将来を決めるようなことがあってよいのだろうか、という疑問は“禁句”であるが、社会通念を思い出したい。

 何度も言うが、このような論点の中で“安全目標”という概念は重要な役割を果たす。この概念は原発に対する恐れを科学的にする。原発は反原発新聞が誇張するほど、危険ではないことが定量的に示された。原発安全のよりどころは“人の命”である。福島事故では人は一人も死んでいない。“むつ”でも“もんじゅ”でも人の“死”とは無縁である。設備の破損は原発の莫大な収益で賄えばよい。

 六ヶ所のサイクル施設が大地震で損壊したらアジアで人が住めなくなるという反対派の流言に対しては、サイクル施設の性能目標値はいくらかと問えばよい。反論できないであろう。私達は今、定量的安全目標といった武器を持った。従来の議論はそれに照らして再度見直されてもよいであろう。

緊急事態時における原発の有用性:

 広い視野に立つと、原発は電力の安定供給だけでなく、危機管理対策として国を救う強力な手段であることに気づく。原発不可避論の新しい側面である。

 調査してみると、日本が緊急事態に陥った時、原発が30%の電力を供給している場合とそうでない場合、被害度がまるで異なることが明らかになった。ここで、緊急事態とは、南海トラフ大地震、東京大地震、中近東の政情不安による石油の輸入制限、南シナ海の中国領土化とシーレーンの危機、北朝鮮からの核的脅威、などである。現在の平和に支えられた豊かな生活が、これらの危機のどれかが起きると、一瞬にして破壊される確率は決して低くない。原発が強力な対策になることを誰も指摘しないのは原発論議の盲点ではないか。

 さらに言えば、現在の原子力発電設備は自然災害(津波、地震、竜巻などに対する対策)に対し、最強の対策を施したので、南海トラフ地震、東京大地震、などの災害に対して強靭になっており健全でいられる。従って、今後予想される緊急事態に対して、原子力による発電が30%ある場合とない場合とでは、被害度がまるで異なる。原発が稼働している場合とそうでない場合の日本全体の機能喪失の程度を分析すべきである。原発が緊急事態時の危機管理対策としてどのような効果的な役割を果たせるか、検討を始めなくてはならない。

おわりに

 原子力施設が安全かどうかは、これまで神学論争の観を呈していた。人々は実態がよく判らず、事故の悲惨さの虜になってきた。メディアの言うことを信ずるしかなかった。

 しかし、安全目標の理念は“原子力の理解に関する混乱”を整理するのに有用な役割を発揮する。我々は、新しい評価の武器を持ったのである。これまでの閉そく状態の殻を打ち破る時代がそこまで来ている。

 また、米国の環境学者のダイアモンド氏は「地球は地球温暖化のために滅びることはあっても、原発事故で滅びることはない」という。事故の空間的規模は地球の大きさに比べれば“”であり、放射能は時間とともに減衰する、という視点が“社会通念”であり、ダイアモンド氏の主張を支持する。

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