原子力推進の妥当性


新しい原子力の進め方について

 原子力に対して、一部のマスコミ等は「原発は危険だ。放射能は恐ろしい」という情報のみ流れてきます。福島事故の結果、推進派は国民に恐れをなし委縮し発言もままならない状況ですが、日本の原子力は“自然消滅”寸前にあることに愕然とするでしょう。 “原発恐怖心”を煽るメディアは、新規制基準に則り著しく高められた“原発の安全性”に目をつぶり、世界では69基が建設中、98基が計画中という現実に参加できない日本の悲劇は一切報道せず、そもそも天候に左右され計画発電が不可能な自然ネルギー発電(ソーラーと風力)が基幹電源になれるという“幻想”を吹聴し続けています。“自然エネルギーの虚構”と呼ばれてもよい現象でしょう。賢明な日本人がどうしてこのような単純な矛盾に気づかないのでしょうか。自然エネルギー発電が有力な電源であることは疑いようもなく、ただ基幹電源になれないと言っているだけですが、そのことが理解されない。何かが“ずれ”ている、としか思えません。この国における正しい原子力の推進の形は「原子力推進の主体は国民であって、その意を受けて、電力をはじめとする原子力村人(余り適当な表現ではない)が国民の公僕となって目的を具現化し、以て国民の恩恵に資する」というものでしょう。

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