原子力を国民の手に取り戻す — 今こそ国民意見の集約を

2014年5月12日(月)

miya宮 健三
原子力国民会議代表理事 日本保全学会理事長 東京大学名誉教授 工学博士

国民が原子力による豊かさを享受できる社会を

私は原子力発電の運用と安全の研究に、およそ半世紀関わってきた一工学者です。

2011年3月の東京電力福島第一原発事故には、大変な衝撃を受け、悲しみを抱きました。自分は何ができなかったのか、自問と自省を続けています。

そして東日本大震災のすべての被災者の方々、また福島事故の被災者の皆さまに、心からの御見舞いの念を抱き続けています。

福島事故の反省に立った上で、原子力の活用を、もう一度、多くの方々と共に考えたいと思い、この小論を寄稿します。対話と行動によって、原子力について国民的な議論を広げていこうという呼びかけです。その具体的な行動として、私がかかわり、日本の将来を憂う人々たちがつくった、「原子力国民会議」を紹介します。

「原子力を国民の手に取り戻す」

私は今、このような問題意識を持っています。これを奇異に思われる方がいるかもしれません。「そもそも私は原子力を手にしていない」と。

残念ながら、原子力は福島事故前から「国民の手から離れる」状況でした。原子力が利用されているのに、その利益を誰もがなかなか実感できなかったのです。そして原子力は、福島事故の後にさらに離れてしまいました。ここで今までの状況をリセットして、改めて原子力と国民の関係を一から作り直すべきでしょう。

「国民が、原子力からさまざまな豊かさを享受できる」「原子力の運用を公開し、できる限り多くの国民がかかわる」「原子力をめぐる国民的合意が存在する」「正確な情報に基づき国民が原子力の是非を判断する」「法に基づき、原子力発電所が適切に運営される」。こうしたことが、私の考える「取り戻す」状況です。

もちろん、原子力をめぐる反感、怒り、怖れなど、複雑な感情が国民の皆さまの間にあり、それが福島事故の後で強まったことは、承知しています。合意の形成は大変困難なものでしょう。しかし、今ここで原子力を再建しなければ、日本で原子力の研究と利用がなくなってしまいかねません。そして原子力がなくなれば、日本の繁栄も消えてしまうと、私は考えます。

原子力は可能性のある技術

原子力は適切に使えば、すばらしい可能性を持つ技術です。改めて、私たちの身の回りを見渡してみましょう。キューリー夫妻などで知られる19世紀からの放射線の研究は広義で考えれば原子力の利用の一環です。放射線の研究は物理学、工学を大きく発展させました。

さらに学問は技術に応用され、人々の生活を豊かにしています。レントゲン、がん治療など医療への活用は人間の寿命を伸ばし、多くの人の健康を支えています。工業分野でも放射線の活用が、検査や製造など、さまざまな用途で行われています。

エネルギー面では、原子力発電は福島事故の前に日本の電力の約3割をつくりました。無資源国日本のエネルギー価格が国民に耐えられないほどの負担にならなかったのは、原子力発電があったことが一因です。核融合など新しいイノベーションをもたらす研究も進んでいます。

世界全体を見渡せば、各国はエネルギー不足と気候変動という問題に直面しています。世界の大半の国が、重要な電源として原子力発電を選択しています。それは大量のエネルギーを、温室効果ガスや大気を汚す物質を出さずにつくれるのは、原子力しか見当たらないためでしょう。

工学者として私見を述べると、原発の安全対策は進化してきました。福島事故は1960年代から70年代初頭に設計された3基の原子炉の事故でした。最新型の原子炉では防護対策の多重化によって、事故の可能性は極限まで減少しています。また多くの方は、原子力発電に伴う、使用済核燃料の問題を懸念しています。詳細は省略しますが、人間に悪影響のない核廃棄物の処理方法は、技術的に確立しています。あとは実行のみなのです。

原子力は安全に運用でき、今後何十年かの間は、日本でも世界でもエネルギー源、そして技術として、重要な存在であり続けるでしょう。人類の歴史はその数十万年前の火の活用から、現在にいたるまで、エネルギーを文明の中に取り込み、発展することを繰り返してきました。原子力も適切に管理すれば、人類に豊かさをもたらすのです。

2012年に当時の野田佳彦首相が、与党民主党や世論の反対があるにもかかわらず、「原発がなければこの国は立ちいかない」と言明しました。現在の安倍晋三首相も「原発の利用」を語ります。今年4月発表のエネルギー基本計画では「原発は重要なベースロード電源」という位置づけになりました。責任ある立場で、そして合理的に思索をすれば、原子力活用という答えを選ばざるを得ないのでしょう。

国政から地方まで、「原発即時ゼロ」を唱える政党が議会の多数を占めたことはありません。各種世論調査でも、「即時ゼロ」は常に少数です。国民の多数は、原子力発電の一定期間の利用を認めています。原子力の活用が、低迷から復活の兆しの見える日本経済の再生の鍵であることを理解しています。こうした現実を考えれば、私は「原子力を国民の手に取り戻す」ことはできると思います。

憂うべき不必要な混乱

ところが福島事故後に、原子力をめぐって、不必要な混乱が広がっています。2011年、民主党の当時の菅直人首相は、中部電力の浜岡原発の停止要請や、全原発の追加テストによる稼動の停止要請など、法律に根拠のない指示を多数行って、状況を混乱させました。悪影響が今でも続いています。2012年に発足した原子力規制委員会は、問題のある原子力の監督と規制をしています。原子力の専門家の声を集めず、恣意的な運用、合理性のない規制作りや判断を繰り返しています。

反原発の意見が一定程度、社会にあります。その中には、原子力関係者が真剣に受け止めなければならない意見もあります。しかし同時に恐怖を煽り、状況を混乱させるだけの間違った情報もたくさん流れています。

政治の失敗、独善的な誤りのある行政、間違った情報の流布が重なることで、日本は原子力の適正な活用ができていません。

それによって、さまざまな問題が生まれています。電力会社が液化天然ガスなどの追加燃料費を増やしたことで、国民負担の増加は年間3兆6000億円になるとの試算があります。そして電力料金は震災前から日本平均で1割以上の上昇となり、国民生活や事業経営を圧迫しています。

これまで原子力発電所の立地県の皆さまに、原子力について理解と協力をしていただきました。ところが原子力政策の混乱によって「これまでの努力は何だったのか」という、大変な戸惑いが出ています。原子力発電が産業の一つになっている地方がいくつかあります。それが停止されていることで、そこでは経済が落ち込んでいます。

原子力をめぐる混迷は、日本の最重要課題である、福島の復興にも影響します。国内外の科学者らが一致して、「現在の福島で福島原発事故による放射線の健康被害は考えられない」と、研究を発表しています。それなのに、原子力についての誤った情報や恐怖が流れ、冷静な判断を妨げています。

私は、こうした状況を大変憂いています。

冷静かつ建設的な対話を今こそ

原子力の混迷をから早期に脱却し、本来あるべき「正常化」を実現することが喫緊の課題です。「原発即時ゼロ」を正常と見なす考えはあるでしょうが、それは国民の多数であったことはありません。原発を安全に再稼動し、適切に運用することが、「正常化」の形です。

私は、原子力をめぐって、さまざまな立場の方が、考え行動することが必要と考えています。そのために、原子力をめぐる対話を広げなければなりません。私は志を同じくする仲間と一緒に「原子力国民会議」を設立し、この5月に一般社団法人となりました。ここを基点に、対話を広げようとしています。

これまで原子力では、「反対」「推進」の二項対立で議論される傾向がありました。また常に政治的な争いに巻き込まれてしまいました。そうした構造からは、建設的な議論が生まれませんでした。そして福島原発事故の後は、原子力関係者の多くは発言を自粛してしまいました。

今こそ、市民の一人ひとりが、それぞれの立場で原子力のあるべき姿を語り、意見を示すべき時でしょう。過激な声高の主張や、パフォーマンスで、物事は進みません。建設的な議論と行動から生まれます。福島事故から3年が経過し、冷静な対話が始められるころと思います。

日本の原子力は1955年(昭和30年)につくられた原子力基本法を国の諸政策の根拠にしています。そこでは、「民主」「公開」「自主」を原則とし、国会でこの法律はほぼ全会一致の支持を得ました。日本の原子力の利用が始まった1950年代に、「適正利用」という点で国民全体の意見はまとまっていました。原子力の門出は、国民に祝福されたものでした。私が原子力研究の道に入った60年代にも、原子力への期待は強く、その可能性や夢が語られていました。

新たに始まる議論では、「原子力の可能性」「原子力の活用によって得られる豊かさ」を、ぜひ一人ひとりの方に思い出していただきたいのです。そうした視点からの意見が、最近の日本では消えています。

「原子力を国民の手に取り戻す」。正確な情報に基づき、冷静に議論を重ねれば、賢明な日本人は、それを成し遂げられると、私は信じています。

(付記)原子力国民会議は、5月に活動を開始しました。6月1日に札幌、東京、広島、福岡で国民大会を開催します。私が提案した「原子力を国民の手に取り戻す」というテーマを打ち出します。ご関心のある方は、ぜひご参加をいただければ幸いです。

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