【私の趣味】チェルノブイリ訪問、印象と異なる実像  (ジャーナリスト 石井孝明)

 

 筆者は旅行が趣味で、大事故が発生したウクライナにあるチェルノブイリ(チョルノービリ)原子力発電所を14年11月に私費で訪問した。事故炉に隔壁一つ隔てたところまで近づけた。現地の事情をみて、世界に広がった原子力への恐怖が、行き過ぎであった印象を受けた。ウクライナ戦争で同所がロシア軍に一時占領され、世界的に注目を集めている。私の見聞を紹介し、日本への教訓を考えたい。

【写真1】事故を起こしたチェルノブイリ4号機。2014年11月時点。コンクリートで固められたが、その老朽化の懸念から現在は金属製のシールドでおおわれている。

◆事故原子炉に接近

 「この壁の向こうが事故炉です」。ガイドの説明を聞きながら怖くなった。私はチェルノブイリ原子力発電所で事故を起こした4号機から、壁を隔てただけの3号機に立っていた。線量計は空間線量で毎時30〜40マイクロシーベルト。かなり高いが、すぐに健康被害を及ぼすものではない数値だった。大丈夫と理性で分かっても、気味の悪い感情は消せなかった。

 ただし同時にチェルノブイリが管理され、それほど危険でもないことに驚いた。RBMKと呼ばれるソ連で1970〜80年代に作られた原子炉は炉心の格納容器がない。頑丈な原子炉建屋が防護していた。私のいた3号機は事故炉と同じ建物だった。

 チェルノブイリは「生きた」施設だった。その3号機は事故から1ヶ月ほど経過すると稼働をし、1号機、2号機も含め2000年まで安全対策をした後で発電していた。また同発電所には変電所が併設され2014年時点では運用されていた。さらに事故の処理も続いており、事故の建屋を覆う鉄製の巨大なドームが建設されていた。このドームは22年現在、事故炉を覆っている。今回の戦争で変電施設は止まったもようだ。ここには訪問当時に約1000人弱の人が働いていた。

またチェルノブイリ近郊は30キロ圏内が、無人地帯になっていた。そこは人間の手がほとんど入らないために、野生動物の宝庫になっていた。高齢者を中心に立ち退き地域に戻って暮らす人もいた。77歳の帰還者の男性と話したが、事故直後にこの人が街に行くと、「チェルノブイリの奴が来た」と人々が逃げ出したという。自給自足の生活をして、定期検診を受けているが、健康に問題はないそうだ。

 この地域の住民、同原子力発電所の職員は、同地区から40キロほど離れたスラブチッチという新しく建設された街に移住している。この人たちも現地に自生するキノコや木の実を食べなければ、特に健康に問題はないという。

◆意外と少なかった事故の人的被害

 チェルノブイリ原子力発電所は、キーウ北方の130キロの地点にあり、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの国境に位置する。1986年4月26日午前1時20分ごろに、同4号機で事故が発生した。同機の外部電源の喪失時の制御と配電設備のテストを行っていたところ、核反応が制御できなくなり、原子炉が暴走して爆発した。

 この放射線の影響で亡くなったのは、ロシア政府の30年目の公式報告書では50人、IAEAの08年の報告では33人になる。事故処理にかかわった人で、急性白血病で亡くなった人の数だ。また事故後に放射能に汚染された餌を食べた乳牛の作るミルク、乳製品が流通したことによって子どもを中心に4000人が甲状腺被ばくによるがんになり、そのうち、10人が亡くなったとされる。もちろん大きな損害であるが、事故直後に世界に広がった恐怖に比べて、死者の数は意外に少ない。

 そして事故後に広がった放射能の住民への影響も限定的だった。同報告書には「住民の精神的ストレスが健康に悪影響を及ぼした」「疾患は旧ソ連の平均を著しく上回っていない」「年100mSv以下の低線量被ばくによって健康被害は観察されていない」との評価が記されていた。ウクライナ現地の関係者もそろって同様のことを話していた。

 チェルノブイリ事故を、たいした事故ではないと、矮小化する意図はない。しかし事故でつくられた虚像と、実像には大きな乖離がある。原子力事故は恐ろしいものだが、人間の力で事故を制御できた面もあるのだ。

◆ウクライナは原子力発電所を使い続けた

 チェルノブイリはロシア軍が今年2月からのウクライナ戦争で一時占領した。汚染地域を軍隊が通過しているため、それによる放射性物質の拡散が懸念されるものの、即座に健康被害が広がる可能性は少ないだろう。

 日本人のツアー参加者は「原子力発電に賛成ですか、反対ですか」という質問を、ウクライナ現地の人に繰り返した。どの人も、賛否をめぐる単純な答えを示さなかった。まず自分のチェルノブイリをめぐる経験を語り、その上で賛成、反対の意見を述べた。これは福島の被災者へのインタビューと同じだ。まず生活という現実があり、それに忙しく、原発の是非を簡単に結論づけられないのだろう。

 ウクライナは原子力発電を使い続けた。1991年のソ連邦解体直後に脱原発を決めたものの、2年ほどで撤回した。同国は石炭以外に自前のエネルギー資源はほぼなく、2014年から内戦が発生して経済的に混乱している。同国の原子力依存度は2020年に6割前後と非常に高い。エネルギーを確保するために、使わざるをえなかったのだ。

 東京電力の福島原発事故で、同じようにデマが拡散し、風評被害が発生、社会が混乱した。その結果、風評被害はまだ残ったままだ。日本政府は旧ソ連政府のように積極的に情報を隠蔽しなかった。しかし正確な情報の発信は不十分だった。

 日本は、不必要な社会の混乱を引き起こしたという点で、チェルノブイリの過ちを繰り返してしまった。とても残念なことだ。

【写真2】原発に隣接したプリピャチ市。今はほぼ無人だ。チェルノブイリを舞台にしたゲーム等の影響で観光地化していた。写真内のドイツからの観光客らは、写真撮影のために放射線防護服を着たという。日本人観光客は普段着だ。

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