地域発展の起爆剤-高レベル放射性廃棄物の最終処分場 第6回 社会への定着に向けて(6)海外事例に学ぶ(2)欧州編

各国とも最終処分場の選定には社会から認知を得るのに苦労してきました。今回は処分事業の先進国である欧州のフィンランド、スウェーデンおよびフランスを取り挙げ、処分地選定が順調に進むようになった経緯を紹介します。フィンランドは最終処分場の決定にあたり、地域を絞り込んだ安全評価や地域社会の参加を保証する制度などを導入しました。スウェーデンは「ゴミ捨て場でなくハイテク技術が集まる地域にする」との認識を地域社会と共有するなどにより地域社会の賛同を得ています。フランスも最終処分を地域の事業として地域社会と協働して進めています。

先行するフィンランド、スウェーデン、フランス

バルト海を挟む隣国のフィンランドおよびスウェーデンは、使用済み燃料を直接処分することにして、スウェーデンが開発した帯水層結晶 質岩を処分対象とした地層処分概念-KBS-3を採用して地層処分計画を進めています。フィンランドは、世界に先駆けて高レベル放射性廃棄物(使用済み燃料)の最終処分場の建設が始まっています。スウェーデンは、最終処分地を決定し建設許可の申請が行われています。いずれも沿岸部に最終処分地を建設する両国と異なり、スイスはもとよりフランスも内陸が処分地に選定される見通しです。ここでは、各国の中から先行するフィンランド、スウェーデンおよびフランスの状況を紹介します。

1. 最終処分地の選定が順調に進んだフィンランド

最終処分地の選定が順調に進んだ例外的な国と言えます。ここでは、その背景に少し触れてみたいと思います。 フィンランドは、日本の90%ほどの国土におよそ550万人が住んでいます。電力需要のおよそ30%が4 基、276.4 万kWの原子力発電でまかなわれています。フィンランドは、FPH 社およびTVO 社が1995 年に設立したPOSIVA社がオルキルオト原子力発電所のあるオルキルオト島に2001年に最終処分地を決定し、2015 年末の政府の建設許可を受けて2016年末に建設を開始しました。オルキルオト最終処分場では、使用済み燃料を、当初の4000トンから現在、6500トンを処分することが認められています。 オルキルオト島は首都ヘルシンキの北西270キロのユーラヨキ自治体にあります。オルキルオトでは政府の建設許可に先立つ2004年から2014 年にかけて、地下特性調査施設ONKARO(写真)が建設され、日本の精密調査にあたる地質環境特性の情報や工学データが収集されています。

写真 2014 年完成後のONKARO 地上部 (http://www.posiva.fi/en)(2018 年2 月より)

フィンランドは、1983 年に処分地選定の進め方と処分開始目標を「原則決定」という政府決定文書で定めました。そこでは、使用済み燃料を原子炉から取り出してから40 年後に処分を 開始するとしています。その政府決定に沿ってTVO 社は、2000 年までに最終処分地を選定することとして1983年に文献調査を開始しました。一方、1987 年には政府の原子力政策を定める原子力法の改正で最終処分場など原子力施設計画は、建設許可申請に先立ち国民、地域社会、安全規制機関などによる承認を経て、政府が決定する原則決定の手続きが定められまし た。また、1994 年に環境影響評価手続法が定められ最終処分場などの計画について、いわゆる「利害関係者」が意見表明できる機会が制度化されました。環境影響評価書は原則決定に必 要な書類となります。 このような法令の改正を挟み、TVO社は自治体の同意が得られたオルキルオトを含む地域で調査を進めます。TVO社の調査を引き継いだPOSIVA 社は、1999 年に4 地域に絞り込んだ候補地における調査(筆者注:日本における概要調査および地下調査施設建設前までの精密調査にあたる調査)をもとに最終処分の安全評価書(TILA-99)をとりまとめ、それに基づいてオルキルオトを最終処分地として選定します。POSIVA社は原則決定手続きに従って政府に処分地とすることを申請しました。また、安全規 制機関STUK も専門的な観点からTILA99などをレビューし予備的安全見解書を政府に提出しました。この予備的安全評価書をもとに、ユーラオキ自治体は2000 年に議会で受入を表明、これらの一連の手続きを経て政府は原則決定を行い、2001年に国会の承認を得ます。処分地選定は、15 年以上の歳月を費やしたことになり ます。 このように、原則決定および環境影響評価手続法で処分地選定において地域社会の参画が制度面で保証されています。また、POSIVA社は、対話活動、セミナーの開催などを開催するとともに早くから地域との連携に向けて自治体職員や議会議員との「協力/フォローアップグループ」を組織化、地方の行政官向けの説明会の 開催など多彩な情報共有活動を実施しています。 フィンランドで処分地の選定が順調に進んだ背景には、POSIVA 社が最終処分場受入に前向きな地域を早期に候補地として絞り込みそれらの地域で重点的な対話活動を実施したこと、処分地選定の原則決定までは自治体に拒否権が保証されていることに支えられているといえますが、TVO社、POSIVA社、安全規制機関STUKなど国民の信頼が高い責任主体の存在によるところも大きいのではないかと考えられます。

2. 着実に歩みを進めるスウェーデン

スウェーデンは、日本とあまり変わらない大きさの国土に960 万人が住んでいます。電力需要のおよそ35%を8 基、840 万kW の原子力発電で賄っています。 スウェーデンは、最終処分の実施主体として電力会社が設立したSKB 社が、2009 年にストックホルムの北130キロに位置するエストハンマル自治体のフォルスマルク(写真)を処分地に選定し、2011 年に政府に立地・許可申請をしました。SKB社は、先に述べたように地層処分概念KBS-3を開発しただけでなくオスカーシャム自治体にエスポ岩盤研究所を建設するなど世界の地層処分技術の開発をリードしている機関の1 つです。 しかし、1984年にSKB社は、それまで全国で実施していたボーリング調査を中止せざるをえない厳しい反対を経験しました。同年に新たに制定された原子力活動法に基づいてSKB社は、政府が承認する「研究開発実証プログラム」によって最終処分地を選定することになりました。1992年には環境大臣の下に政府に対して権 威ある助言をすることを役割とする原子力廃棄物評議会を設置します。原子力廃棄物評議会は、地層処分実施機関と国民、地域社会をつなぐメディエーターとしても重要な役割を果たしています。1992年から公募もしくは申し入れによるフィージビリティ調査(筆者注:日本における文献調査に相当)を実施した結果、公募に応じた2 自治体で調査をしますが、地方自治体法で定める住民投票で調査継続が否決されます。 SKB社は、1995 年に原子力施設立地関連自治体に調査を申し入れ、オスカーシャム、エストハンマル、ティーエルブなど6自治体が調査を受け入れました。環境法典に基づく環境影響評価(EIA)協議に先立ち、これらの自治体では「県域執行機関」(国の出先機関)の主催でフィージビリティ調査結果、地域社会への情報提供、近隣自治体の見解を得るために県域を対象とした「非公式EIA 協議」が実施されます。また、オスカーシャム自治体などは、民力開発プログラム(LKO)で養成した専門家がフィージビリティ調査のレビュー、自治体、住民が参加する討論会などで活躍しました。1996年には政府が任命した放射性廃棄物調整官が、地層処分の選択、処分地選定手続きなどについて全国で非公式EIA 協議が行われました。また、1998年から2年をかけて総合立地調査(筆者注:日本の「科学的特性マップ」に相当)を実施しています。SKB社は、2000年にオスカーシャム、エストハンマルおよびティーエルブを概要調査地区に選定しますが、ティーエルブ議会は調査の受入を否決し、他の2自治体は調査を受け入れました。2002 年にSKB 社は、県域執行機関、放射線安全機関(SSM)、環境防護機関、関係自治体、個人利害関係者、地元環境団体が参加するEIA 協議組織を設けました。 SKB社は、調査を受け入れた2自治体のうちオスカーシャム自治体に既存の使用済み燃料中間貯蔵施設(CLAB)に隣接して最終処分関連施設であるキャニスター封入施設(CLINK)の設 置を2006 年に申請し、次いで2009年に地層処分施設候補地としてエストハンマル自治体のフォルスマルクを選定しました。スウェーデンは地方自治法で、地層処分場の立地・許可決定までは自治体に拒否権が与えられ、いわゆる可逆性が担保されています。 スウェーデンの最終処分計画の進展は、SKB社が、困難な処分地選定作業の経験をもとに20世紀の終わり頃から専門家を活用した対話活動に本格的に取り組みだしたこと、それに地域社会から信頼されるSKB社の存在、スウェーデン有数のリゾート地でありながら「ゴミ捨て場ではなくハイテク技術が集まる地域」(エストハンマル市長)にするとの認識を住民と共有したとするエストハンマル自治体などの存在が大きいと言えます。

写真 エストハンマル自治体フォルスマルク付近(資源エネルギー庁、2016 年)

2016 年に、処分場の建設開始を2020 年、試 験操業の開始を2030 年とするSKB 社の事業計 画をSSM が受理しました。

3. 体制をリセットして処分地選定が進むフランス

原子力大国であるフランスは、多くの国と同様に最終処分地選定で困難を経験しましたが、パリの東、300キロに位置するムーズ、オート=マルヌ両県にまたがるビュール地域を最終処分候補地に選定し、2018 年に地層処分場の設置許可を申請する状況です。この地域は、シャンペンの産地で世界的に有名なシャンパーニュ地方に隣接しています。 フランスは、1979年に原子力庁(現原子力・代替エネルギー庁)に一組織として放射性廃棄物管理機関(ANDRA)を置いてフランスで発生するすべての放射性廃棄物の最終処分実施・研究を始めました。1987年にANDRAは、産業大臣が選定した地域でANDRA が現地調査を実施しましたが地元の厳しい反対運動に遭い、1990年にロカール首相が調査の1年間の凍結を決定します。それを受けて政府と国民議会がクリスチャン・バタイユ議員(国民議会社会党・共和・市民グループ)に反対運動が起きた理由について調査を要請します。同年末に100ページの報告書(バタイユ報告)が取りまとめられ、「地層処分は本当に危険なのか」、「袋小路から如何に脱出するか」、「ある人たちは原子力の弱点を突くことで原子力エネルギー体制全体を揺るがそうとしたが、これは非常に活動的であるとはいえ少数派に過ぎなかった」、「地域で反対する多くの人たちは、情報が全く不十分であり、地域の将来に心を痛める市民たち」などの指摘とともに、情報の公開、ANDRA を放射性廃棄物管理の総合的な政策を実施する独立の行政 機関に強化、処分地選定の再検討を柱として処分地選定作業の再開を提言しました。バタイユ報告では、さらに、先に重要性が指摘されていた地下研究施設の設置にあたり、インフラ整備に向けた地方公共団体との調整役の必要性、地方経済の活性化策の検討、原子力発電同等の税制面での地元優遇措置に言及しています。バタイユ報告が反映された放射性廃棄物管理研究法(研究法)が1991 年に制定され、「可逆性のある地層処分場」の開発に向けた研究開発を進めるとともに、長寿命放射性物質の分離・変換と中間貯蔵の研究開発を実施することになりました。地層処分技術については地下研究施設の受入に関心を示した28 件の申請に対して政治的・社会的合意を得る調停官としてバタイユ議員が任命されます。フランスは、処分地選定に先立って地下研究所の設置に集中しました。1998年にはバタイユ議員等の調停団の対話活動の結果、堆積岩の地下研究所設置地域として自発的に立候補したビュール地域が選定されます。しかし、結晶質岩の地下研究施設は、地元の反対などによって選定を断念しました。1999年にANDRAは、ビュール地下研究所の 建設と廃棄物の埋設技術、ビュール近傍における地質環境など調査研究活動を開始しました。 調査研究の過程で地下500 米のカロボ・オックスフォーディアンと呼ばれる130米の厚さを持つ堆積岩(粘土層)が地下水特性などで地層処分に極めて優れた性質を持つことが明らかになりました。 ビュール地域は、研究法に基づき研究の監視、ANDRA と住民との情報仲介などを目的とした組織「地域情報フォローアップ委員会(CLIS)」が政府、ANDRA、国民議会、自治体職員、職能団体、学識経験者などが参加して設置されました。さらに、2000年に研究法に基づき地下研究所や地層処分場計画の推進、周辺区域におけるインフラの整備や経済活動の推進や地下研究所を活用とした人材開発を目的とした「公益事業共同体(GIP)」を設立しました。ビュール研究所がまたがるムーズ県およびオート=マルヌ県のGIP に年間915万ユーロの政府助成金を交付します。 2005 年に「公開討論国家委員会(CNDP)」(重要な公益事業や政策についての合意形成をはかることを目的とした国の常設行政委員会)が主催する討論会が開催され最終処分計画の可逆性(埋設した放射性廃棄物の回収可能性を含む)のある地層処分技術が高レベル放射性廃棄物管理の方策として最善であるとの報告書をまとめました。同年には、第1図のように廃棄物発生者が処分場計画とは別にビュール地域をエネルギー戦略拠点としていく持続的な地域開発事業を地域社会と協議しながら開始されています。

第1図 ビュール地域における地域発展に向けた拠点(資源エネルギー庁、2008 年)

以上の地層処分政策の進展をもとに2006年に地域社会の代表を加えた新CLISおよびGIPを規定した放射性廃棄物管理計画法(計画法)が制定されます。 ANDRAは、2007年にはビュール地下研究所周辺の区域(およそ250 km2)で最終処分地選定に向けた地質調査を実施し、さらに、2010 年には絞り込んだ候補地域(およそ30km2)を地層処分場地下施設の設置予定区域(ZIRA)で詳細な地質調査を始めました。 CNDP は、2013 年から2014年にかけて7ヶ月にわたり対話集会、討論課題毎に9回のインターネット討論、市民パネル会合などを開催し、地層処分場計画に地域社会の関与を大幅に増やすこと、処分場の操業は「パイロット操業段階」から始めることなどを求める意見を集約しました。 これまで述べてきたように、フランスにおける重要政策に関わる意思決定の仕組みをもとにANDRAは、対話活動に基づいた地域社会の参加を得て最終処分事業を進めることに成功しています。その際に、ANDRA は、放射性廃棄物問題が国や地域社会で日常的な話題となるようにすること、「地域における事業」ではなく「地域の事業」となるよう地域社会との協働(パートナーシップ)のもとに最終処分事業を進めています。 ANDRA は、2025 年に操業開始が可能となるよう2018 年に地層処分産業センター(Cigeo)の設置許可申請をする準備を進めています。 ANDRA は、第2図のようにCigeo の操業が終わる120年後の姿を公表していますが、その間の雇用は600名から1,000名と見込んでいます。 次回は、北米諸国の最終処分地選定の状況を紹介します。

第2図 操業120年後の最終処分場(ANDRA, 2015)(https://www.numo.or.jp/prinfo/ pr/event/andra_lecture_report.html)

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