原子力国民会議について

理事長あいさつ

原子力国民会議の活動方針

原子力国民会議は、原子力は我が国にとって不可欠である、という見識の下で活動を展開している一般社団法人である。志を共有する同志は、連携して国民会議を設立し、原子力のこれまでのあり方を反省し「原子力を国民の手に取り戻す」というスローガンを掲げて、目標達成に向け努力している。
すでに、全国規模で展開し始めている活動の方針について、ここで改めて活動方針について所感を述べてみたい。
まず、活動方針の前提条件としている3つの方策について言及しておきたい。それは

1)「普通のことを普通に実践していては普通の結果にしかならない」ということと
2)「できることとできないことをはっきり峻別する」
3)「数と質とメッセージ」の重視

という3点である。第一点目は、現状のやり方に満足せずもっと有効な手段の必要性に関する決意であり、第二点目は、成果の達成は易しくはないが、不可能でもないことを見極め、努力すれば解決に手が届くかもしれないという効率的な解決の選択という願望からくる。最後は、数は力であり、質は呼びかけた方たちからの共鳴に関わり、メッセージの発信は幅広い国民からの支援に繋がる手段である。これらを国民会議の行動の規範としていきたい。

原子力界はこの40年間「原子力を国民の手に取り戻す」という目標を達成することはできなかった。その理由の一つに「目的と手段の峻別」という認識が国民の間に広く浸透していなかったことが上げられる。日本人の倫理観はこの“峻別”に鈍感であり、この認識に基づいた種々の工夫が実践に十分反映されず、核心に触れた失敗の原因究明はうやむやにされたまま、そして教訓は蓄積されないまま、現在に至っているのである。
我が国において“倒錯”がどういう形を取ってきたか、いくつか例を見てみたい。

1)太平洋戦争の末期に学徒動員という形で特攻隊を編成し多くの若者が戦線に駆り出された。そのとき、特攻隊員を鼓舞する精神として「美しく死ぬことが日本男子たる者の本懐である」とされ、隊員はそれを信じて海戦に散っていった。ここでは「戦争に勝つ」という目的意識は消えうせ、美しく死ぬことが美化され、貴重な命が惜しげもなく投入された。
2)反原発マスコミの主張の根幹は事故の悲惨さにある。事故を悲惨としなければ反原発の根拠は砂上の楼閣ではないか。福島原発事故で一人の死者もなく、放射能による健康障害も皆無に近かった。長期に亘る避難はしなくてよかったという冷静な意見が今識者によって主張され始めている。避難しなければ1600人もの関連死は起きなかった。この種の問題の責任は民主党政権の稚拙な措置に帰せられる。
このような事実をしっかり見据えた見解が今まで公表されなかった理由は、「人一人の命は地球より思い」という日本人好みの情緒に関係する。この思いは、科学的に適切な措置の実行を妨げ、目先の対応に追われ、国民の情緒におもねることを最上の策とした。問題解決という本来の目的は希薄化し、対処療法という手段がまかり通った。目的意識の欠如が福島を想像以上に不幸にしたというべきであろう。
3)マスコミの役割は国民に正しい情報を提供し、国民が正しい判断ができるようにすることにある。NHKが福島原発における汚染水の漏洩を執拗に報道した動機はこの信念にあるのだろう。しかし、この報道は風評被害を全国規模で巻き起こし、福島復興を妨げた。真実の報道であるはずのものが、国民に大なる被害を及ぼすものに変ずるとはなんという矛盾であろうか。これは、報道が国の安寧と繁栄という目的を軽視し、報道という手段を目的化したために生じた、といえないか。
これに気付かぬ我々にも責任の一端はあるが、目的と手段の倒錯には敏感でありたい。
4)事故の悲惨さを強調して原発を否定する多くのマスコミは「目的と手段の倒錯」に鈍感である。「憲法9条があるから平和は維持されてきたし、今後も維持される」という誤解もこの倒錯の延長線上にある。ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領が実施した中東における平和主義的政策が、9月5日の時点で35万人の難民を欧州に発生させた原因となっている事態は大きな矛盾を我々に突き付ける。人類は「人一人の命は地球より重い」という理想論が持つ矛盾を「大の虫を生かして小の虫を殺す」という冷徹な手段によって事態の収拾を図ってきた。善意は無知と不幸を生む場合があることを知らねばなるまい。本来、手段であるべき“憲法9条”が今のように神聖化されると、国の独立と安寧という目的は糸の切れた凧である。原発の賛否を事故の悲惨さだけで判断するのは同じ轍であろう。
5)原子力は安全に活用すれば未来永劫国民に恩恵をもたらす強力な手段である。再生可能エネルギーは原子力の代替にならないこと、事故の発生確率は最大限最小化できること、一国ゼロ原発を実現したところで中国・韓国で合わせて数百基の原発が稼動する事態、などを思えば、安全性を高めることで原発活用の道を探るというのが本来の目的である。事故の悲惨さでこれを否定することに根拠を与えるものは“情緒”だけである。地球温暖化で地球が滅ぶことはあっても、原発事故で滅ぶとは考えられない、と喝破したのは米国の著名な環境学者ダイアモンド氏である。被害の広さを思えばそれは当然のことである。

我々の周りには「目的と手段の倒錯」は至るところにみられる。今、国会で“安保関連法案”の審議中である。安倍総理が野党やマスコミなどの批判にさらされているが、軍靴の音が聞こえる、この法案は戦争法案でありすぐに戦争が始まる、徴兵制に繋がる、といった時代錯誤的な批判は十羽一からげに「目的と手段の倒錯」に原因がある。このような「錯覚の氾濫」は、原発問題はもとより、従軍慰安婦問題、特定秘密保護法案問題、憲法改正問題、などで嫌というほど見せつけられてきた。今朝の産経朝刊で葛西敬之氏が、国の安保問題を倒錯した形で煽る状態は60年安保の時から変わっていない、安保改正を選択したから今日の繁栄があり、崩壊したソ連邦に組みしていたらどんな悲惨さにあえいでいたか、と主張している。歴史からの教訓ほど有難いものはない。

原子力国民会議はこの“問題の倒錯”が原子力問題の根源であると理解する。国民の原子力アレルギー問題を根本的に解決しようとすれば、この倒錯問題は避けて通ることはできない。
このような倒錯が社会の至るところに浮遊した結果、原子力に関する誤解も社会の隅々にまではびこってしまった。倒錯と誤解は深い関係にある。専門知識のない市民が原子力を語るとき判断基準にするのは、倒錯に起因する“原子力誤解”である。国民会議有志はこの半年間、原子力誤解について資料を集め、整理し、論評を加えてきた。その結果、原子力誤解には、特に放射線については個人の情緒が密接に絡みついていることを思い知らされた。そしてこの情緒的誤解に適宜に対応するにはどうしたらよいか、検討を重ねた。

普通、情緒問題は解くのは困難である。そこで、国民会議としては、以下の工夫を凝らすことにした。

1)困難な問題は解ける問題に別けて解き、その和を以て答えとする
2)問題を分けて解く方法として、誤解駅、科学駅、常識駅、情緒駅、イデア駅を持つ登山電車方式を考えた。情緒問題をこのように分割して解決しようとする
3)そうだとすると、誤解の分析は世界観を広げる良い機会であることに気付く。

これらの努力が成功するかどうか、会員の批判を仰ぎたいが、時間をかけて多くの人に納得してもらえるものに進化させていきたいと思う。

以上を国民会議の活動方法の基本とすれば、以下のような活動内容を体系的に実施するのが自然の勢いとなる。

1)全国に支部・拠点をつくり、原子力を国民の手に取り戻す活動を展開する
2)そのため、草の根対話活動や草の根セミナーなどの集会を粘り強く実施していく
3)そのとき、原子力誤解集を活用する
4)その時々の時事問題に対して適宜に対応するため、ロビー活動を行い、それと関連させて全国集会を年1回は開催する
5)将来の重要な活動の一環として、“草の根対話活動”の全国報告大会をいずれかの時期に実施する。

以上が原子力国民会議の当面の課題と方針である。会員の方々はもちろん多くの市民がこれらの趣旨をご理解くださり、原子力に関する誤解を脱ぎ去って世界観を広げ、原子力の積極的な活用が遺憾なく図れるよう、ともに連携していければ誠に幸甚に思う次第である。

代表理事  宮 健三
(平成27年9月5日)

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