行政法における成文化されていない原則

2016年9月16日(金)

権利濫用禁止の原則、比例原則など:

活断層問題に関し規制委員会は非合理的で強引な規制判断を下してきた。日本原電敦賀2号機の活断層問題のことである。いくら規制委員・規制委員長に規制経験がないとは言え、このような稚拙で政治的意図が明々白々な規制行政措置は異例で、その極端さは史上まれであろう。そのようなことが許される原因は「原子力規制委員会設置法」の構造的欠陥にある。規制委員会の4年の歴史を見るに、我が国では規制委員会を三条委員会として運営できる能力を持った人材は存在しないこと、組織的な工夫をしないと今のままでは期待通りの成果は上げられないこと、は明らかである。原子力の三条委員会制度を機能させる法律の改正が必須である。

今の規制委員は委員会での発言は少なく、委員長のパペットで、どこに合議制があるのかと訝しく思う。恐らく、行政の何たるかに無知であろう。行政が正常であるためには、行政法の原則である「信義誠実の原則、権利濫用禁止の原則、平等原則、比例原則」を理解し規制行為に反映させるのが当然である。

これらの原則は米国の大統領令のごとく、規制全体に亘って適用されなければならない。そうすれば、どれだけ規制の運営が改善されるか想像を超える。

特に、これらの原則から導かれる行動規範は、原子力法規のどこかに記載されなければならないのではないだろうか。規制委員はすべて研究者出身である。規制の必要条件は備えているかも知れないが、十分条件には全く欠けているのではないか。比例原則の意味をわきまえているのなら、研究炉や研究開発段階炉に対するIAEAの等級別取り扱いを無視できるはずはない。あの愚かな国会事故調の「規制の虜」を機械的に理解し、事業者との協業と緊張関係の重要性を疎外するはずはないのである。

島﨑氏があるいは田中氏が「権利濫用禁止則」が行政の前提であることを知っていれば、活断層議論は別の結果になっていたかもしれない。知っていたとしても敦賀2号炉潰しが意図されていれば、今のままだったであろうが。

この行政の原則は当時の民主党や社民党が原子力問題を政治問題化しなければ、行政に携わるものの常識であったろう。これらの政党に朝日新聞などの新聞が参加しなければ、問題はこじれなかったかもしれない。

規制委員会の第二フェーズに希望をつなごう:

本来、原子力規制は、切磋琢磨しながら自らの技術力を高め、それに基づき信念を固め、毅然とした態度で誤解に基づく反対世論に対処すべきである。田中委員長はマスコミを強く意識し国会議員に対し右顧左眄と言われてもおかしくない振舞に終始している。ある議員は彼の振舞を称して政治家以上であると。原子力規制委員会は政治的委員長を求めていない。それでは失望を招くだけであり、歴史はそれを見逃すことはないであろう。

このような状況では展望は開けない。新しい規制委員会体制が望まれており、委員長の交代なしにはこれらの諸矛盾は解決されない。第一フェーズは田中委員長で終結させなければ、この国の将来は暗い。

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