活断層に関するまやかし議論の分析例:悪魔の証明問題

2016年9月16日(金)

 

悪魔の証明:

原子力規制委員会が評価してきた活断層問題を正しく理解するには長い説明を必要とする。しかし、ここではその余裕がない。ただ、

1)島﨑前規制委員が法に基づかないで有識者会合を恣意的に組織して、事業者の意見を十分に聞かずに非合理的会議運営を行った。

2)非科学的審議方法に基づいて、事業者や彼らの意見を支持する国内外の地震学者でさえ納得のいかない結論を出し、原電の敦賀2号炉は廃炉を迫られている、

といった状況を取りあえずは念頭に置いてもらえればよい。廃炉かどうかの最終判断は原電が出した申請書の規制委員会の審査会における審査結果如何によることになっている。

ここでは有識者会合での審査の途中で、原電が判断を突き付けられた「悪魔の証明」に関して、如何に規制委員会が矛盾した議論を行ってきたか、について紹介してみたい。それは悪魔の証明といわれる問題である。

 

規制委員の発言のエビデンス:

田中規制委員長は、「(活断層の存在を)否定できない場合には、活断層があることを前提にせざるを得ない」(田中委員長発言、福井新聞、2013/6/6)と発言した。

続いて、第3回追加調査評価会合(2014/8/27、議事録P34)において、島﨑委員は「…要するに後期更新世以降の活動性を否定できるだけの根拠がなければ、それはやはり活動性のある断層と認めることになりますので。・・・」と発言している。

さらに、ピア・レビュー(2014/12/10、議事録P22)において、島﨑氏の後任の石渡委員は「…やはり可能性が否定できないというものについては、一応、将来活動する可能性があるとみなすということで判断していただければというふうに思います。・・」と発言している。

揃いもそろって、重大な認識違いをしていてそれに気づかない。これが規制委員会のレベルなのかと言われて弁明できるのだろうか。

 

論証:

これらの発言は、「活断層の存在を否定できない場合、存在しないことを証明するか、それができなければ、存在すると見なす」と言っているようなものである。これは悪魔の証明といわれているもので、普通は、要求してはならないことである。規制当局が規制対象である事業者にこんな事を要請して平気でいられるという神経は到底理解できるものではない。逆に規制当局にしても、そのような要求を自らに出されてもとても対応できるはずはないだろう、とどうして思わないのか。自らも解決できない要求を出して平気でいられる理由は何なのか。普通なら、かくかくしかじかの条件が整えば活断層は存在しないとしてもよい、という現実的な条件があってしかるべきである。このとき、初めて、この要求は現実的な意味を持つ。しかし、その判断基準は示されていないし、作れないだろう。規制当局も含めて、この世界で解決困難な問題を事業者に要求してはならない。このようなことを理解できない規制当局の存在とは一体何だろうかと思わざるを得ない。

悪魔の証明は、無限問題であり、論理的に閉じない“語り得ぬもの”であり、神にしか解決できない要求である。田中、島﨑、石渡の三氏はこの矛盾を踏まえて、正常な論理のもとに再検討し、結論が間違っていれば撤回し、事態の重要性に鑑み、辞任して責任を取らねばなるまい。けじめをつけること、責任を取ることが、規制委員会の権威向上に資することを重く見て欲しいものである。

 

刑事事件の例:

仮定の話ではあるが、ある人が罪を犯して検察に告発されたとする。調査を始めたものの、アリバイはないが起訴できる確証もない。状況証拠的には無罪ではなさそうである。その場合であっても、普通は「疑わしきは罰せず」という法の常識に基づいて無罪放免となる。もし検察が納得いかず、被疑者もしくはその弁護士に対し「無罪だというのなら、無罪であることを証明してみせろ。それができないならば有罪だ」と言うとする。そんなことがまかり通ったら、世の中の大半の人は刑務所行きである。規制委員会が行ったことはこれに匹敵する無謀な措置である。そもそも、規制委員会は設置趣旨からして協議に基づく判定機関であって、決して検察のような役割を果たしてはならない。米国のNRCは検察の役割をしない。してはならないというのは常識である。このようなことが許されるのは、原子力規制委員会設置法の欠陥である。

 

規制委員会の大きな過ち:

有識者会合は法的な根拠を持たない会合である。さらに、島﨑委員は原電の主張と有識者会合の結論とを判断する判事の役割を果たすべきである。しかし、実際は委員を兼ね原電の主張を否定する方向に議論を誘導した。この間違った審査プロセスを黙認した田中委員長に規制委員会を統括する資格はあるまい。そう判断できるエビデンスは随所にある。責任は免れまい。

罪を犯していなければ、その証拠を集めるのは不可能で調査は永遠に続く。有罪に持ち込むには証拠のでっち上げしかない。規制委員会はでっちあげに相当する行いをしようとしたとしか思えない。有罪を証明できないとき、代わりに、被告人に無罪の証拠を持ってこい、というのは許されまい。このような措置は、どのような推論を以ってしても帰結されない。

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